すずめのお宿
秋です。きんもくせいが香り、空にはうろこ雲がさわやかに映えます。
犬達を散歩に連れ歩くのにもちょうど良い日和で、何をするにも気持ちが良いですね。散歩をしているといろんなものが見えてきます。
忙しくしていると目の前のものしか見えてないようで、なんで今まで気が付かなかったのだろうというようなことが時々あります。
河辺の駅向こうにわたると、東急や温泉の梅の湯が目に飛び込んできます。
視線を左に転じるとセブンイレブンがあり、その前に街路樹が植わっています。
街路樹の下にはベンチが置いてあり、市民の憩いの場所になっています。
この街路樹の根元に
「鳥にエサをあたえないでください」
と立て看板があるのです。
たしかに木の根元には鳥の糞が多く見られます。
せっかくの憩いの場が鳥の糞で汚れることを嫌ってのことでしょう。
至極当然です。
なんですが、僕はこの立て看板にはやや違和感を感じるのです。
実情を知らないのであくまで個人的な勝手な意見ですけれども。
実際ハトなどにエサを与えるからどんどんハトが寄ってきてしまうという面もありそうですし、これはエサをむやみに与えることで糞害を広げてしまうおそれがあります。
ところがこの街路樹にはもうひとつ別の側面がありそうです。
すっかり日が短くなり夜が訪れるのが日に日に早くなると、夕方がいやに寂しげになってきます。西の山の空が赤く染まるころ、街路樹にたくさんのすずめたちが集まってきます。すずめたちは決まった一本の木に無数に集まり、一斉にチュンチュン、チュンチュンと鳴き続け寂しげな夕方がにわかに活気づきます。
すずめのお宿です。
不思議なことに、毎日同じ木に集まってくるのです。他にもいくらでも木があるはずなのに、すずめたちは夕方になると決まって同じ木に集まるのです。
僕が子供のころ住んでいたところでもやはり駅前の、とある木がすずめのお宿になっていました。そのにぎやかな鳴き声を聞くと子供心になぜか寂しくなったのを久しぶりに思い出しました。
こんな町のど真ん中で繰り広げられる自然の営みを僕は微笑ましく感じるのですが、糞で汚れて困るんだよなぁ、という方も当然いらっしゃって。
結局ベンチが木の下にあるのが運のつき。ここにベンチがある限り
「汚いなぁ」
という苦情は無くならないでしょう。
どうしても嫌なら
「エサを与えないでください」
ではなく、すずめを退治しなければ済まないでしょう。
もちろん僕はそんなことには反対です。
可能ならベンチを移動し、木の根元は舗装をはがし土に戻してお花を植えればとても居心地の良く、すずめたちを微笑ましく眺めながらくつろげる空間になるのになぁ、と、本当に大きなお世話なんですが、勝手なことを考えてしまうのでした。
人の都合ばかり押し付けず、少しだけ生き物たちに配慮してあげることで人と自然が無理なく共存できる気持ちの良い空間ができるのになぁ、いつもそんなことを思います。
僕は無類の生き物好きで人間としては変わり者な方ですから、こんな話はなかなか通らないのはわかっています。だいたい、ベンチ移動して舗装はがしてって、そんな費用どこから出てくるのさという話になりますもんね。管理する方も楽ではないでしょう。僕なんか、言いたいこと言うだけだから無責任なものですね。
すずめは夏から秋にかけて木に集団であつまり、そこをねぐらにする習性があります。こうして木に集まるのは主に巣立って間もない若鳥だという説もあるようです。成鳥は軒下、屋根裏、など民家の隙間を巧みに利用し、棲家を造ります。
今、すずめはものすごい勢いで数が減っています。
今の家は昔のように生き物に棲家を提供させるような隙がありません。
もちろん家が傷んでは困りますから、そのような気密性の高い住宅が主流になるのは当然ですが、その影響ですずめたちは徐々に棲家を確保しにくくなっている、それが減少の原因だとも言われています。
めだかが絶滅寸前であることは昨今良く知られたことですが、いずれすずめもその憂き目にあうかもしれません。
先日ニホンカワウソがとうとう絶滅種に認定されました。
昭和の中ごろに最後の一頭が確認されて以来、生存が確認されていないため絶滅とみなされたそうです。
かつてはニホンオオカミも同じように絶滅という悲惨な末路を辿りみした。
奥多摩、秩父地方は古来日本でも有数のオオカミの生息地だったようです。
御岳の神社のお札にオオカミがあしらわれている
ことにも表れているように、オオカミ信仰があったほどです。今となってはお札にその姿を認めるのみとなってしまいました。
これらの動物はどれも
「皆殺しにしてしまえ!!」
と悪意をもって絶滅に追いやられたわけではありません。
人間の都合を何も知らずに押し付け続けた結果、いつしか途絶えてしまったのです。
人の都合を押し付けない
人の都合を押し付けないというのは動物病院で診療をする際にもとても大事なことです。僕たちはワンちゃん、ネコちゃんに良かれと思い診療行為を行いますが、当の本人たちがそれをありがたいと思っている感じはありません。ただその一時我慢してくれれば、きっとそののちに元気になれたらそれはワンちゃん、ネコちゃんにとって良いことだろうと思うからこそやるのです。
でも、その診療行為が無用にストレスフルではいけません。もちろん、まったくストレスなしに行うことは不可能なのですが、極力ストレスを軽減する努力はしなければなりません。
「静かにしないと良く見えないからしっかりおさえて!」
「かまれるといけないから口をしばって!」
これらはみんな人間の都合です。
まぁ、確かにしっかり押さえるし、時には口輪も使います。必要なら麻酔もかけます。
でも、前述のとおり生き物にはそれぞれの習性があって、そこを理解すると無用なストレスをかけずに済むことだってあるのです。
犬は顎を下から軽くグッと上に突き上げるだけで静かになってしまう傾向があります。
追えば逃げるし、逃げれば追いかけてきます。
仔猫は首根っこをつまんでぶら下げると催眠術でもかかったように静かになってしまいます。ぶら下げられた姿は一見乱暴に扱われてるようにも見えますが、力づくで抑えるのに比べてはるかにストレスが軽くて済みます。
診察台の上で伏せながら「ウ~!!」とうなっている猫はそのまま抑えずに爪切りをすることができます。もちろんかまれてしまうこともありますが、かまれることを恐れて始めから力づくで抑えると猫はパニックに陥り激しく暴れます。爪切りどころかこちらが怪我をしないようにするだけで精一杯。
うさぎさんは正座して膝の上でやさしく仰向けにすると不思議と静か。
あ、カエルも仰向けにひっくり返すと静かになってしまいます。
すべての子でうまくいくわけではありませんが、性格に合わせてどこまでだったらストレスなしに処置ができるか、可能な限りストレスのかからないように済ませる、これはいつも心掛けていることです。
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス これは、戦国武将徳川家康、豊臣秀吉、織田信長の性格をそれぞれに表わした句だと言われています。動物診療の際も場面場面でこれらの言葉が役に立つことがあります。 もっとも殺してしまえというのはちょっと…… |
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この方はちょっと獣医には向いてないかも…… | ||
季節がらなのでしょうか?
ここのところ、野良の仔猫が保護されるケースが後を絶ちません。
怪我をしたり、母猫からはぐれて自力では生活が難しかったりで仕方なく人のお世話になる。そしてこれも縁と飼いネコになる。猫達と人の関係は本当に一期一会。
時には里親探しのお手伝いを頼まれるケースもあります。
そこで考えたのです。
「そのうち、猫を飼いたいなぁ」
とお考えの方いらっしゃいませんでしょうか?
そのような方々のリストを作り、行き場のない猫ちゃんが来院された時に譲りたい方と飼いたい方のマッチングがうまくできないかしら?と。
なにしろ少人数でやってる病院なので大規模には展開できないですが、可能な範囲で仔猫たちの幸せな家を探してあげたいと思っています。
猫を飼ってあげたい方がいらっしゃいましたら、当院までご一報ください。
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