さて、こうして病院通信を書いている今、外では二度目の大雪が降り始めています。今年は良く降ります。救急外来を専門で受け付けてるのならまだしも、当院のようなごく普通の町医者ですと、こうも降ってしまうと訪れるものはほとんどありません。
電車が止まり、車が使えないんだから、要するに動かなければいいのですが、世の中はそんなことにはお構いなしに動くことを義務付けられている方も多くいらっしゃいます。本当にご苦労様なことです。自営業ですから「しょうがないよ」で済みますが、企業戦士の方はこうした条件の中でも日々の売り上げを落とさぬよう、他社にも出し抜かれぬよう頑張らなければならないのです。まったく今の社会は表立っては平和ですが実に経済戦争といっても良いほどに経済的に優位に立つべく必死に動かなければいけない世の中です。
「雪なんだから、休めばいいじゃん」
そう堂々と言い切れる暮らしがしてみたいもんです、本当に。
(ポンタと楓は雪が楽しくてしかたありません!)
雪やこんこ、あられやこんこ、 ふっても、ふっても、まだふりやまぬ
いぬはよろこび庭かけまわり ねこは こたつで丸くなる
先日、雪のさなかポンタ達を遊ばせに行ってきました。普段かけまわってる場所が真っ白な雪化粧に包まれ、ポンタも楓も興奮気味。雪に鼻をうずめては走り回り、空から舞ってくる雪をパク!パク!とくわえようとします。普段は室内でぬくぬくと過ごしているおぼっちゃま君達ですからどうかなと思いましたが、犬らしくはしゃぎまわっていました。
柴犬も含めた日本犬の多くは冬になると細かな綿毛が地肌を覆い尽くすように生え、寒さに耐えられるようになっています。この綿毛は春先になると一気に抜けはじめ夏毛に変わってゆくのです。この時期の柴犬のブラッシングはやってもやってもキリがないほどです。
でも近年は室内飼いが増え、直接寒暖差を感じない環境で過ごすワンちゃんが増えました。そうすると換毛期でないのに不自然に毛が抜けたりすることがあります。実はこうしたバイオリズムの乱れが原因で起こる病気というのが実に治りにくく厄介だったりします。生き物は何千年、何万年という長い年月の中でその風土に生きるのにちょうどいいように体を適応させてきました。季節ごとに体の状態を変えられるようになるのにはそれくらい長い時間をかけた馴化が必要なのです。
柴犬も含めた日本犬は当然長い年月の中で日本の風土にあった体の造りとなっています。日本犬というのは実は世界的に見ても貴重な原始的な犬の形を残した種類なんです。欧米の多くの犬種がその用途によって交雑、固定を進められてそれそれ特殊で個性的な形になっているのに対し、日本犬は古来の犬をそのままに保存しようという趣旨で固定化された犬種であるため、おのずと古くからの犬の性質を色濃く残しています。
日本には昔から地方ごとに多くの地犬が存在しました。明治に鎖国が解け、欧米文化が入ってきたときに欧米の犬も多く移入され、文明開化、舶来偏重主義の波の中で雑種化が急速に進んだそうです。
「おとなりの○○さんちじゃ、舶来の立派なお座敷犬がいるってよ、うちのコロときた日にゃぁ、まぁ吠えるくれぇしか取り柄のねぇみすぼらしいで犬で、うちもあんな犬が飼ってみてぇもんだ!」
と言ったか言わないかは知らないが、とにかくそんな風潮は明治、大正、昭和と続いたわけでして、僕らが子供のころからヒーロー犬と言えばのらくろ、名犬ラッシー、パトラッシュ、名犬ジョリー、おはようスパンク、アライグマラスカル(あ、犬じゃないか)、ベンジー、マリリンに会いたい、南極物語、刑事犬カール(知らないか(-_-;))今だって、ぽちたま、CMで大活躍だったくぅ~ちゃんとこれだけ並べても日本犬は皆無、唯一気を吐くは忠犬ハチ公、ソフトバンクのお父さん犬あたりがなんとか日本犬ですねぇ。ハチ公はハリウッド映画「HACHI」でアメリカ人の手で秋田犬の魅力がふんだんに紹介されましたが、日本犬の魅力の紹介まで欧米の方が上手ってのもなんだかなぁと思います。
日本人が欧米文化を満喫してきた明治、大正、昭和の間に津軽犬(青森)、高安犬(山形)、会津犬、相馬犬(福島)、越後柴(新潟)、秩父犬(埼玉)、赤城犬(群馬)、加賀犬(石川)、天城犬(静岡)、壱岐犬(長崎)、日向犬(宮崎)、椎葉犬(大分、宮崎)などの非常に多くの地域特有の固有種が絶滅していき、別にそのことを何とも思わずに過ごしてきたのです。昭和の初期にこの状況を憂いて日本犬の保存活動に乗り出す動きが無ければ今頃は柴犬なる犬種だっておそそらく存在しなかったことでしょう。
今の柴犬は地域固有の種類では無く、絶滅が危惧されていた昭和初期に残り少ない日本固有の柴の形を色濃く残した犬達をかけあわせ保存に尽力された方々のご苦労の下、今こうして存在するのです。
バイクで旅に出るのが好きで、あちらこちら走りに行ったものですが、この辺はすぐそこが山なもので走りに行くのに気持ちの良いところがいくらでもあるんです。青梅街道を奥多摩へ向けて走り、奥多摩を抜けますと丹波山、心霊スポットとしても有名なオイラン淵、晴れた日には景観が素敵な柳沢峠など険しい峠道を抜けて山梨方面へ抜けたりします。あるいは秩父から古くからある秩父往還(ほんの15年くらい前まで埼玉秩父から山梨へ抜ける道は国道ですら徒歩でしか通行ができない難所でありました。)をぬけて山梨へ向かうこともあります。また、八王子から大垂水峠を抜けて山梨へ抜けるのは峠以降険しい山は回避するルートのため比較的穏やかな道中がこれまた気持ち良いのですが、なにしろどこを通っても感じることは私たちが背後に感じている山並みの向こうには虎毛の犬が多いのです。
甲斐犬です。
これも、日本犬のご多分に漏れず雑種化が進んでいますが、幸い甲斐犬は日本犬保存会が犬種として認定、しっかりとした管理下にあるためきちんと維持されています。
写真の犬は数年前に甲州街道をのんびりとオートバイで走っていた時に、笹子トンネルを抜けてすぐの、とある道の駅の駐車場で偶然でくわした飼い犬です。飼い主に聞いたところ雑種だそうですが、甲斐犬の風合いを色濃く残した犬でした。こんなふうにまだ各地方に昔の地犬が雑種化しながらひっそりと暮らしているんだなぁと思うと、なんだかせつなくなるのでした。
昭和初期に多くの地犬が消えゆく以前、やはりひっそりと姿を消した生き物がいました。
ニホンオオカミです。
ニホンオオカミは記録によると1905年(明治38年)に奈良県で捕獲されたのを最後に一度も生きた個体を見たものはいません。絶滅といっても、確実にいなくなったのかは誰にもわかりません。環境省によれば「過去50年間生存が確認されない場合、その種は絶滅したものとする」のだそうで、確認されていなくても山奥で人知れずひっそりと生きている可能性がゼロなわけではないのです。
僕は
「ニホンオオカミがひっそりと生きていたら…」
と思うと、ときめいてしまうのです。
ニホンオオカミは日本に近代的な生物学が根付く以前に絶滅認定されてしまっているため、その生態についての詳しい情報は非常に少ないのです。
ひとつ言えることは、この秩父多摩エリアはかつてオオカミガ多く生息し、オオカミ信仰が根付いた地域であったということです。秩父の三峰神社、青梅の武蔵御嶽神社はニホンオオカミを祀っています。ニホンオオカミの研究なんてできたら面白いだろうなぁ、なんてよく思うことがあります。そして、だれも見たことのない生きたニホンオオカミをこの目で見てみるのです。見るだけでいいんです。もし、見たなんてことを言えば、また無神経な人間が大挙して押し寄せて環境を荒らしてしまうのですから。
犬や猫のように人と共に生きる生き物も、人里から遠く離れた人気のないところで生きる生き物も、
等しく幸せに生きていけることを祈ります。
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