動物病院通信 その三十四 令和元年8月5日
夏です。暑いのが好きな僕でしたが年のせいか年々暑さを楽しめなくなってきました。地球の温暖化が叫ばれて久しいのですが、その割に騒いでいるのは専門家、科学者たちだけで、一般的にはこれといった危機感がないのがなんといっても空恐ろしく感じます。異常だ異常だと言いながら有効な策は見いだせず、環境破壊が一因であることが分かっていても環境破壊がとどまる様子もありません。もうすでに世界では人が住むことが限界に達している地域が出始め、白熊は氷山が溶けてしまったことで生活の場を失い餓死寸前で市街でゴミをあさってさまよい始めているという現状を考えると昔より暑い夏を肯定的な気持ちで楽しむ気には全くなれないのです。エアコンなど電気の力を借りないと命を落としかねないほど暑くなるという異常さを人々はどこまで深刻に考えているのでしょうか。私たちはどうせ後50年も生きませんから、その間はなんとかなるかもしれません。でも、今の子供たちが年老いた頃、間違いなく今とは違う環境が待っているでしょう。温暖化による海面上昇と多発する豪雨による度重なる水害のため、都心はもはや恒久的な首都としての機能をあきらめざるを得なくなる可能性だって大いにあります。都心エリアは隅田川流域を中心に江戸時代以前は毎年河川が氾濫する住みずらい湿地だったことを忘れてはなりません。コンクリートでふさぐことばかりでなく、植物や動物を大切にし、地球本来の機能を早く正常化することも早急に検討するべきでしょう。地球は人間に感染されて重大な病気になっているのだと思います。
さて、前回書いた当院の新しいメンバー野良猫の寅吉君の話の続きです。
「破壊王に俺はなる!」の巻きです。
ひょんなきっかけでうちの子になってしまった寅吉くん。ケージに入れたままでの生活が始まったのです。なにしろ昨日までは純粋に野良猫だったのです。不用意にケージから出せば間違いなく逃走を図り、つかまりません。人間に心を許すまでの間は可哀そうなようでも自由を奪わざるをえません。その間に人のことを知り、人との関わりの持ち方を覚えていくのです。これは野良猫を飼い始めるにあたりとても大切な行程です。はじめから家の中を自由にしても徐々に慣れていくことが多いですが、臆病な子ですと怖がって人の手の届かないところへ逃げ込んでいつまでも人との関わりを持とうとしません。こうなると人の努力で猫に近づくことは至難の業です。結局近づいたりスキンシップをとることなく月日が経つと、そのまま家の中にいるのだが撫でることすらできない、まるで家の中に野良猫がいるような状態になってしまうことがあります。これは猫にとっては不幸な状況でしょう。人のことを怖がりながら、その人と一つ屋根の下で暮らさなければならないのです。だから、はじめのうちは自由を拘束してでも人との関わりをもたせて、その中で人を信頼する気持ちが芽生えるのを根気よく待つのです。信頼してもらえるようにこちらも過不足なく愛情を注ぎながら面倒を見てあげなければなりません。我が家の猫たちははじめは病院の狭い入院犬舎から飼い猫生活をスタートし、徐々にその生活を受け入れて行きながら、僕との関係を築いてきました。だから寅吉くんもその第一歩を狭いケージの中でスタートしたのです。ところが……
ケージでの生活が始まりました。僕はしばらく病院に泊まり込みで面倒を見てあげることにしました。徐々にこの生活に慣れてくれることを期待しながら。ところがこの期待は割と早い段階で怪しくなっていきます。初めの2~3日はごはんもよく食べていたのですが、4日目くらいから様子が変わってきます。もうとにかくケージから出たくて出たくてしょうがないのです。柵によじ登って天井にぶらさがり 「わぁ~!、わぁ~!」鳴いてばかり、ごはんにも全く見向きもしなくなってしまいました。中の敷物をめちゃくちゃに引っ掻き回し整えても整えてもキリがありません。
夜中にすぐ横で寝てあげると、ず~っと鳴き続け、暴れています。その有様は3年前に亡くなったペロが夜中に苦しがっているのを看病していたのを彷彿とさせるものでした。見るに堪えない苦しみの中で死んでいったペロのことは半ばトラウマのように僕の胸の中に刻まれていて、今回の寅吉の騒ぎは僕の心を大きく乱すのです。
「無理に捕まった野良猫が人に飼われたがるはずもないか…これはあまりにも人間の一人よがりなのではないか?母猫のもとに帰りたがっているじゃないか」
悶々としながら朝を迎えます。朝ご飯を寅吉くんは受け付けません。とらわれてしまったことですっかりしょげてしまった可哀そうな仔猫。昼になり、夜になっても寅吉くんはご飯を食べません。なんといってもまだ小さな仔猫。これだけ食べないとこころなしか元気がなくなってきました。
そしてまた夜中を寅吉と一緒に過ごすのです。寅は何も食べないままです。夜中になると僕がケージから少し離れると「わぁ~!わぁ~!」と鳴き、またケージをよじ登り、敷物をぐちゃぐちゃにします。横についてあげると少し落ち着くのですが、離れるとまた大暴れです。日付が変わるころになっても哀れな鳴き声をやめない寅、人の顔を必死に見つめる寅。母猫から無理に引きはがされてこの状態はあまりにも可哀そうです。
「どうしよう、抱っこしてあげたら少しはおちつくかしら?僕に抱っこされても怖がって逃げてしまうかもしれないぞ、なにしろまだ直接触ったことがないのだから。でも、この様子は僕に助けを求めているように見える・・・・・」
う~む、 逃げられちゃったらえらいことだぞ・・・でも、なんだか逃げないような気がするんだよな。だいたいこんな状態で朝までわぁわぁ言い続けていたら弱ってしまうぞ。なんと可哀そうなことをしてしまったのだろうか・・・
普段は専門家づらをして偉そうにアドバイスなんかしているくせに、こうなっちゃうと五十路間近のちょっと弱気なただのおじさんです。
えーい、逃げちゃったらその時はその時だ!
とうとうあまり可哀そうだったので、ケージの扉を開けてやおら寅をつかむと強引に抱っこしてしまいました。そしたら寅は腕の中でゴロゴロゴロゴロ・・・・と甘えたように喉を鳴らし始めました。
「あぁ、これは母親になってやらなければ。でも、おじさんなんですけど。寅ちゃんそれでいいかしら?」相当心細かったんですね。こんなおじさんに甘えるとは……
人とうまく付き合えそうか?という問題はクリアできそうです。さぁ、しかしケージに戻すとまた同じことの繰り返しになってしまいます。で、夜中じゅう出したり入れたり出したり入れたり出したり…
「寝られないじゃん!!!」
朝には寅ちゃんも僕もげっそりです。
さて、触ることができるようになったのは大きな前進ですが、問題は診察中です。やっぱりずっと自由にしておくことはできません。目が離れる間はケージに入れておくよりほかありません。そうすると寅は暴れて、ご飯を食べません。空き時間に寅とコミュニケーションをとってあげると、少しだけご飯を食べるのです。で、見てあげられる時間はケージから出してあげることにしたのです。とはいっても院内をすべて自由にさせられるわけもありません。ケージを置いてある手術室の中だけ、自由にさせてあげることにしたのです。
そんなこんなの試行錯誤のうちにまた一日が過ぎると、今夜もまた僕は泊りです。
手術室に張り付きの生活が数日続き、相手をしてあげたり、自由にしてあげたり、クッションの下に潜り込んだ寅をのぞき込んだり、僕たちはだんだんと仲良くなっていったのです。結局寅吉は目を放している間も手術室を自由に遊んで暮らすようになりました。さぁ、しかしこうなると仔猫につきもののトラブルを考えはじめなければなりません。物を落とす、どこへでもよじ登る、電源コードをかみちぎる、そのうちやり始めるぞ、しかしわかってはいてもそう簡単に防げることではありません。まず、仔猫なんてまず間違いなくひも状のものに興味を示します。いじられないうちに早くコード類は蓋のできる入れ物にしまうなりしなければなりません。ところが手術室の器具というのは普段からぱっと使えるようにしていて、棚にしまい込んだりはしませんから。そもそも手術室に扉のついた棚なんてものはないのです。
「こうなったら日曜大工で急遽扉をつけるしかないか。弱ったなぁ、そんな暇はないぞ、だいたい寅吉の世話で忙しいのだから、でも、そういってる間にいつコードなどに興味を持ち始めるか知れたものではないぞ。」
と、思いながら一日が過ぎ、二日が過ぎしていたある日。その日は思ったよりも早く訪れました。
「あ~‼ 思っていた通りのことが‼」
よりによって電気メスのコードがぶっちぎれております。
「寅吉くん……安くないのだよ、」
また数日たつと超音波スケーラーのコードの被覆がかすかにえぐれております。これは幸い使用に支障のない程度で済みました。
「恐ろしや~、恐ろしや~、病院がつぶれてしまうぞ」
もう手術室にとどめておくのも限界です。こうして寅吉くんはなし崩し的に院内での自由を獲得したのです。手術室はだめです。よりによって高価な機材ばかり置いてある部屋なのです。が、しかし手術室以外にも高価な機械がいっぱい。もうこれ以上壊されてなるものか!日曜大工なんてのんきなことを言っていられません。応急処置でいいから一刻も早くコード類など寅吉がいじりそうなものを隠さなければ!木材なんかでやっていられません。こういう時は日本が世界に誇るスーパー素材、段ボールの登場です。検査機器のコード、チューブ類を急いで段ボールで覆い隠しました。これでひとまず院内を自由にさせるにあたって最低限の対策はとれたかに思えました。もう手術室は出入り禁止です。
さぁ、もう一つ課題があります。柴犬のポンタ君、楓ちゃん、猫のしろくろ君と仲良くなっていかなければなりません。ところが寅吉くん、こういうところはほとんど苦労がありません。基本的に社交的な性格なのか、特にトラブルもなくみんなに馴染んでいきました。むしろかまってほしくて、でもしろくろがなかなかかまってくれなくて、という調子からのスタートでした。
ポンタくんとお昼寝
しかし、自由を得てもなお、寅吉くんのホームシックは完全になくなったわけではありませんでした。相変わらずご飯はあまり食べませんし、ちょっと相手にされなかったり、なにか不満に思うと寅吉はやらかしはじめるのです。
どこでもひょいひょいと登ってしまうのです。先住猫のしろくろ君なんか登ったことがないようなところまでどんどん登ってしまいます。まだ1キロちょいのちびちゃんのくせに待合室の収納の上に登り天窓の開閉用のひもをかじる、CDを落っことす、鉢植えをほじくりかえす、ついにはウンチ、おしっこを鉢にする、葉っぱを食いちぎる、在庫のフードをあさって袋に穴をあける、待合室に展示してあるシャンプー、ミルク缶、哺乳瓶、サプリメント、片っ端から落とす、食べられそうな商品はかじって穴をあける、壁で爪を研ぐ、はがれかかった壁紙を咥えてどんどんはがしていく、入院用ケージの上に登り、積んである大量の段ボールゴミと一緒にすごい大音響とともに落ちてくる、気が付いたらスティックのりがない、ホワイトボードに貼り付いていた大量のマグネットがことごとく行方不明になる、油断をすると手術室に侵入する、受付カウンターに置いてある診察券ボックスを落とす、カレンダーを落とす、飾ってある犬の置物を落とす、パソコンの画面がいつの間にか「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」ってなっている、まぁ猫を飼い始めたときに想定しうるほとんどすべてのことを寅吉くんはやってくれます。そして、それに一つ一つ対策をとり、落ちては拾い、汚れては掃除をし、覆えるものは覆い、どうしようもないものは撤去し、できないことは無理をせず、寅の悪さを許し続けるのでした。
不満顔の寅吉くん
これだけ好き放題やってればさぞかし楽しいのかと言えば、寅吉くんはそうでもないらしいのです。むしろ気に入らないといたずらがひどくなります。寅は気が済むとご飯を食べますが、つまらないとご飯に目もくれません。だから放っておけないのです。随分と手間をかけてあげないといつまでも食べないままでいるのです。僕たちはかなり時間を割いて相手をしてあげたつもりでしたが、それでも普通の子猫の食べっぷりには遠く及びません。いつまでもちょっとしか食べないでいるとどうなるか。
そうです。寅吉君はとうとう調子を崩してしまいました。吐いて、下痢をして、ぐったりと元気がなくなってしまったのです。
寅吉は破壊王なんかではなかったのです。寂しくて、寂しくて、いたずらで気を紛らわせて、それでも気持ちを整理できずに調子を崩してしまったのです。そもそも本来何不自由なくお母さんと一緒に野良生活をするはずだったのが人間の勝手な考えでその運命を強引に捻じ曲げられたのです。別に人に飼われることなど望んでいなかった寅吉をここまで追い込んだ罪は非常に大きなものです。でも、もう今更後には戻れません。今の僕にできることは早く寅を元気にしてあげることだけです。おそらく環境の変化のストレスが原因であろうとは思われましたが、一応検査をしました。すると、なんとしたことでしょう。とんでもないことに気が付いたのです。
寅吉は生まれついての奇形があったのです。
「漏斗胸」
これが寅吉が抱えている奇形の診断名です。
胸の中央にある胸骨という骨が極端に胸の中に入り込んでしまい、その結果胸の中の空間が狭くなってしまう病気です。あまりに極端な漏斗胸を患っていると少しの運動で息切れしてしまったり、最悪の場合呼吸困難を起こすこともあるのです。
さて、寅吉くん。どうしたものかしら?
漏斗胸のために調子を崩してしまったのでしょうか?でも、それは少しつじつまが合いません。だって、寅吉はこの体でこれまで野良猫として順調に育ってきたのです。それがうちに来たとたんに奇形のせいで調子を崩すなんてなんだかおかしいと思いませんか?でも、ストレスのせいだけにしては食欲不振が長引きすぎている気もします。そういう目で見ると少し呼吸が速いようにも見えます。
嘔吐、下痢で調子を崩した寅吉は数日点滴をするとなんとか元気を取り戻しましたが、相変わらず食べないままです。僕たちは相談をしました。寅吉の奇形をこのままにしておいていいものかしら?今はよくても将来大人になってから極端に呼吸に支障をきたしたりしないかしら?手術で矯正してあげたら食欲が回復しないかしら?妻は特に奇形のことを気に病んでいました。僕は手術のストレスが非常に強いことが予想されること、また今回の食欲不振と漏斗胸は関係がないと判断していたので手術には積極的にはなれませんでした。それに今まで経験してきた漏斗胸の症例は幸いどの子もほとんど症状がない子たちだったのです。しかし、「絶対に関係がないって言いきれるの?」と聞かれればそこはなかなか断定もできません。実際僕だって心配だったのは間違いありません。そして、一度は矯正手術をしようとまで決めたのですが、結局やめました。手術の予定まで立てたのですが、その手術予定日の前日に最後の相談のうえで急遽取りやめにしたのでした。
今は少し調子が悪いとはいえ、元気な時はいたずらし放題暴れ放題な寅吉の胸にギブスのようなものを埋め込み、長期間安静に保つなど想像ができませんでした。
「お願いだからもう僕のことはほっといてよ‼もう僕嫌だよ‼」寅吉の悲痛な叫びが聞こえてくるような気がしました。それで結局寅吉はきっとこの奇形をものともせず元気に過ごしてくれると信じることにしたのです。
「寅吉には最低限の治療と最大限の愛情が必要なのだ」
これが僕の下した判断でした。僕たちの愛情が伝われば、理解してくれれば寅吉はきっと元気になる。そう信じることにしたのです。うまくいかないことが続くと、とかく先のことを悲観し、なぜか頭の中で悲しい結末を考えてしまったりするのですが、たいていの場合時間が解決してくれるものです。そう信じることがこの時とても大切だったのです。
♪時がゆけば 幼い君も 大人になると きづかないまま……♪
Vol.01へ戻る Vol.02へ Vol.03へ Vol.04へ Vol.05へ Vol.06へ Vol.07へ Vol.08へ Vol.09へ Vol.10へ Vol.11へ Vol.12へ Vol.13へ Vol.14へ Vol.15へ Vol.16へ Vol.17へ Vol.18へ Vol.19へ Vol.20へ Vol.21へ Vol.22へ Vol.23へ Vol.24へ Vol.25へ Vol.26へ Vol.27へ Vol.28へ Vol.29へ Vol.30へ Vol.31へ Vol.32へ Vol.33へ
Vol.35へ
こむかい動物病院ホーム |ごあいさつ |病院案内| 診療内容 |施設案内| 診療時間 | アクセスマップ 青梅市 河辺町 こむかい動物病院 各種予防処置・去勢避妊手術・往診 |